ビッグイヤーバッジと「あの人は今」
5 月 28th, 2011
つい間違えて、今朝CL決勝を見ようとしてしまいました。気が早過ぎます。
今夜(現地時間では明日未明〜早朝)のUEFAチャンピオンズリーグの決勝ですが、
この決勝の対戦カードが決まった後、勝者はバイエルン、アヤックスに並ぶ事となる
…などとあちらこちらで書かれていました。
今回の決勝出場チームはバルセロナとマンチェスター・ユナイテッド。
バルセロナは1992年と2006年、2009年の優勝チームで、
一方のマンUは1968年、1999年、2008年の優勝チームです。
ところで、上の写真は我らがFCバイエルン・ミュンヘンのCL用ユニの
腕に付けられている大耳バッジです。4という数字が書かれています。
この4というのがバイエルンの優勝回数、よって今回の優勝チームは
バイエルンとアヤックスに並ぶ優勝回数になるという訳です。
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UEFAチャンピオンズリーグの大舞台でバイエルンやアヤックスの影が薄くなって永くなります。
しかしアヤックスもバイエルン同様、腕にこの大耳に4という数字のバッジを付ける事が許されています。
大耳永久保持の条件、5回優勝または3年連続優勝という条件を満たすチームには
CLでの試合の際、ユニフォームにこのバッジを付ける事が許されています。
バイエルンは1974年、1975年、1976年、2001年に優勝、
アヤックスは1971年、1972年、1973年、1995年に優勝しています。
両チームとも4回しか優勝してはいませんが、3年連続優勝によって
ビッグイヤー(CLの優勝カップの愛称です)を永久保持する事が許されています。
ですので、この2チームやレアル・マドリード(優勝9回)、ACミラン(優勝7回)、
リヴァプール(優勝5回)の5チームがこの大耳バッジを付けられる訳です。
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ところで、先頃からドイツマスコミのあちこちで「ドイツは10年優勝していない」や
「バイエルンの優勝から満10年」といった記事が掲載されていました。
ドイツ勢ではバイエルンの3年連続の後、1983年にハンブルガーSV、
1997年にボルシア・ドルトムント、そして2001年のバイエルンの優勝だけに留まっています。
準優勝では1960年には今の2部転落が考えられないアイントラハト・フランクフルト、
1977年には2部転落危機が…以下同文のボルシア・メンヘングラートバッハ、
1987年、1999年(!)のバイエルン、2002年のレバークーゼン、
さらには昨年のバイエルンという具合で、やはり今ひとつぱっとしません。
5月5日のkickerの記事によると、この10年のスペインの躍進ぶりは目覚ましく、
2001年以来のヨーロッパタイトルがどの国のチームに輝いているかの一覧では
同時にドイツのダメダメっぷりが一目瞭然となっています。
※2010/11ヨーロッパリーグ決勝の結果は含まず
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ブンデスのチームで最後にCL優勝を果たしたのは2001年のバイエルン。
その時のメンバーと監督が23日にアリアンツアレーナで一堂に会しました。
そして当時のメンバー達は一体今、何をしているのかについても何人か紹介したいと思います。
CL制覇時の監督、ご存じオトマール・ヒッツフェルトは現在スイス代表監督。
また、テレビのコメンテーターとしてもよくブンデスのゲームの解説に登場しています。
オリバー・カーン。41歳。
PK戦での勝利に活躍したこの世界的GKは企業の広告塔として多くのCMに出演しつつ
TVのスポーツ解説者としても活躍中ですが、同時に企業管理やコーチングの学生でもあります。
サミュエル・オッセイ・クフォー。34歳。
タイトルの4年後にASローマに移籍。リボルノ、アヤックスと移りました。
また、2006年W杯にもガーナ代表として活躍しましたが、2009年引退。
現在ガーナの首都アクラで暮らしています。
トーマス・リンケ。41歳。
2005年にバイエルンでのキャリアを終えた後、
バイエルンの受け皿的チーム、レッド・ブル・ザルツブルクに移籍。
その後バイエルンのアマチュアチームで過ごし、2008年に引退しました。
2007年9月からはザルツブルクでスポーツディレクターのアシスタントに。
そして2011年5月まではレッド・ブル・ライプツィヒのスポーツ監督を務めました。
パトリック・アンデション(パトリック・アンターソン)。39歳。
2001年の勝利の後、推定1500万マルクの移籍金でバルセロナに移籍。
しかし十字靭帯等の故障に苦しみ2003年末までに19試合にしか出場できず、
故郷のクラブ、マルメに移籍後2005年に引退しました。
現在マンチェスター・ユナイテッドのスカウターとして働いているとか。
ウィリー・サニョル。34歳。
このフランス人プレーヤーは残念ながら2009年2月2日、
長い、終わりの見えないリハビリに終止符を打ち、引退を決意しました。
今もサニョルが居てくれれば、と思う事が昨年来何度もありました。
その後2年間リモージュの”Centre de droit et d’économie du sport”の
ゼネラルマネージャーを務めていたそうですが、今はバイエルンのスカウターです。
バイエルンオールスターズに参加しているのなら、戻って来て欲しい気もします。
カルステン・ヤンカー。36歳。
2002年にウディネーゼに移籍。更にカイザースラウテルン(当時2部)、
上海申花(半年でわずか1ゴール)、オーストリアのSVマッテルスブルクと移り、
オーストリアでは76試合に出場し、21ゴールを挙げていますが
故障もあって2009年にここで引退しています。
その後オーストリアのレギオナルリーガのチーム、SCノイジードルで
FWコーチとしてのキャリアをスタートさせ、2010年の夏からは古巣の
ラピド・ヴィーンでU-15ユースチームのコーチを務めています。
シュテファン・エッフェンベルク。42歳。
CL制覇の後、2002年にヴォルフスブルクに移籍、ここでブンデスリーガでのキャリアを
111枚のイエローカード記録(エッフェ!!! 笑)とともに終え、
その後カタールのアル・アラビでプレー、2004年に引退しています。
現在は様々なメディアでコラムニストとして、またSKyでの解説者として活躍中です。
彼の古巣チーム、ボルシアMGでスタッフとして働くのでは…とも。
オーウェン・ハーグリーヴス。30歳。
当時のメンバーで20歳と最年少だったこのイングランド代表は、
つい先頃、マンUは契約延長しないという淋しいニュースになっていました。
1997年からバイエルンのユースで育ち、10年間をミュンヘンで過ごした彼は
2006年のW杯での活躍をバネに多大な移籍金でマンチェスター・ユナイテッドに移籍、
しかし2008年以降、故障に苦しめられ、わずかな間復帰しては再発させ
2011年現在までにわずか39試合しか出場しないまま、今回のクビとなってしまいました。
ビセンテ・リザラズ。41歳。
最早何の選手だったのかも記憶が定かでない程にスポーツ万能な(サーフィンはプロ級)、
この小柄のフランス人はこの後、2004年にマルセイユに移籍するも、
当時のトルシエ監督と対立し、わずか半年でバイエルンに戻って来た後、
ラームに後を託して2006年に引退しました。
現在はTVのコメンテーターとしても活躍していますが、また一方で
スケルトン競技でオリンピック出場を狙うも、アルプスでの長期のトレーニングが要求された為、
ひとまずこのプランを中断をする事になりました(とはいえ次のオリンピックに出るという噂も)。
また、2009年にリスボンで行われたブラジリアン(グレイシー)柔術の欧州大会においては
ライト級青帯シニア1(31〜40歳)のクラスでの優勝も果たしています。
ハサン・サリハミジッチ。34歳。
バイエルンでの9年間の後に、2007年、ユベントスに移籍しました。
どうもこの夏、移籍が噂されているようですが…
また、2006年8月にボスニア・ヘルツェゴビナ代表から引退しています。
そしてブラッツォで忘れてはいけないのは、マカーイの試合開始後わずか10.2秒という
CL史上最速ゴールのアシストをしたという事でしょうか。
ジオヴァネ・エウベル(エウベル・ジオヴァネ・デ・ソウザ)。37歳。
2003年にオリンピック・リヨンに移籍。その後ボルシアMGを経て
母国ブラジルのクルゼイロに移り、2006年にそこで引退しました。
現在は家族とともにブラジルに住み、肉牛の農場を経営しているとか。
また、ダンサーとしてRTL局のTV番組「Let’t Dance」に出演したり、
ミュンヘンでのディナーショー”Do Brazil”にも出演と言いますから…多才なのかもしれません。
また、バイエルンの南米担当スカウターとしても活動していますし、
オールスターズの一員でもあり、今もなおバイエルンとの繋がりは強い選手です。
アレクザンダー・ツィックラー。37歳。
度々怪我に泣かされて来たツィックラーは骨折の大怪我も重ねつつ、
2005年までバイエルンに残り、その後はレッド・ブル・ザルツブルクに移籍。
2010年5月9日までの5年間でオーストリア・ブンデスリーガの得点王に2回、
年間ベストプレーヤーに2回、優勝を3回経験した後、現在はLASK リンツ所属。
メーメット・ショル。40歳。
CL制覇後もバイエルン一筋に過ごしたショリィは2007年に引退。
永年の労に報いる為、引退試合は同年8月にバルセロナをミュンヘンに招いて行われました。
その後はカーンがZDFなのに対してショルはARDでサッカー解説者として活躍。
また、U13のユースチームのコーチとして、コーチのキャリアをスタートさせたショル、
ゲルラントがトップチームのアシスタントコーチとなってからはバイエルンIIのコーチとして
そして2009年以後はU18のコーチをしている様子です。
その他、ラジオ番組ではDJも務めているとか。
パウロ・セルジオ(パウロ・セルジオ・シルベストレ・ド・ナシメント)。41歳。
2002年、新プレーヤーの獲得のせい等で、プランから外れてしまった事で、
バイエルンからアラブのアル・ワハダに、更にはブラジルのバヒワに移籍しました。
2003年、現役を引退すると元ストライカーとしてサンパウロ近郊の
レッド・ブル・ブラジルのコーチとして挑戦を始めましたが、
むしろそれよりも彼は神の為のお勤めに意義を見いだし、
現在、サン・パウロでプロテスタントの牧師として説教を行っています。
トルステン・フィンク。43歳。
2003年までバイエルンに、そしてその後2006年までバイエルン・アマチュアチームに所属。
引退後は2007年から2009年までインゴルシュタットで監督としてのキャリアをスタート。
2009年からはFCバーゼルの監督として、今シーズンはUEFAチャンピオンズリーグの
グループステージでバイエルンと対戦を果たしています。
ロケ・サンタ・クルス。29歳。
バーグリーブスとともに長くバイエルンに所属したこのパラグアイ代表は
2007年、バイエルンからプレミアリーグのブラックバーンに移籍、活躍を見せ、
2009年にはマンチェスター・シティに移籍しています
(2011年1月14日には再びブラックバーンへローン移籍)。
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ちなみに、23日の同窓会にはパトリック・アンデション、トーマス・シュトルツ、
チリアコ・スフォルツァ、サミュエル・クフォー、カルステン・ヤンカー、
ロケ・サンタ・クルスらは欠席したとの事です。
それにしても軽い話題を、と思ったのに、このエントリを書くのに
丸二日もかかってしまいました…えらい労作になってしまいましたよ。
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