シュナイダー現役引退について

6 月 28th, 2009

Bernd Schneider: “Fußball war für mich Leidenschaft”
Er bestritt 81 Länderspiele. Außerdem absolvierte er 296 Einsätze in der Bundesliga und lief 124-mal in der 2. Bundesliga auf. Er war ein Vollblutfußballer, der oft über seine spielerischen Qualitäten gepriesen und nach der WM 2002 als „Weißer Brasilianer“ geadelt wurde. Am heutigen Freitag hat Bernd Schneider bekannt gegeben, dass er aus gesundheitlichen Gründen seine aktive Laufbahn beenden muss.

ベルント・シュナイダー:フットボールは僕にとって情熱だった
「彼はサラブレッドのサッカープレーヤーであり、
プレーフルなクオリティによってしばしば賞賛された、高貴な(白い)ブラジル人でした。
この金曜日、健康的な理由によって彼の活躍に彩られた経歴に幕を下ろさねばならないと発表されました。」

http://www.dfb.de/index.php?id=500014&tx_dfbnews_pi1[showUid]=18821&tx_dfbnews_pi4[cat]=56

W杯予選の後、このところ毎日コンフェデ杯やU-21欧州選手権のゲームに追われていて
正直、バイエルン以外の移籍・退団情報をピックアップできていませんでした。

久しぶりにゲームが無い夜ですので、とても残念な退団の話題、
ドイツ代表のベテラン、ベルント・シュナイダーの引退について取り上げてみたいと思います。
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26日付のドイツサッカー連盟のニュースでこのシュナイダーの引退が発表され、残念な気分でいっぱいです。
シュナイダーは代表の試合に81試合、ブンデスリーガで296試合、2部リーグで124試合に出場しました。
しかし故障の治療の為、ユーロを欠場する事となり、ドイツ代表は大きく戦力が削がれました。
もしシュナイダーが参加していたら、ひょっとするとスペインに遅れはとらなかったかもしれません。

この件に関して、連盟にインタビュー記事が載っていました。
長い記事ですので、とても全文はご紹介できませんが、
一部抜粋で、おおざっぱな訳ですが、ご紹介させて頂きたいと思います。
誤訳等大目に見て頂けると幸いです。

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「彼はサラブレッドのサッカープレーヤーであり、
プレーフルなクオリティによってしばしば賞賛された、高貴な(白い)ブラジル人でした。
この金曜日、健康的な理由によって彼の活躍に彩られた経歴に幕を下ろさねばならないと発表されました。」

「35歳のミッドフィールダーはもうクラブのユニフォームも
代表チームのユニフォームも着ることはありません。」
ユーロ2008前に急遽椎間板ヘルニアの手術を受け、ユーロを欠場したシュナイダーは
その後ブンデスリーガを398日休場し、怪我と戦って来ましたが
5月16日、第33節のレバークーゼン対メンヘングラッドバッハ戦で、
73分にクロースと交替で入ったのが最後のプレーとなってしまいました。
ホームでファンとお別れできた事がせめてもの慰めでしょうか。
(この時の模様は、こちらのサイトのブンデス第33節の記事で若干報じられています。)

「シュナイダーは1999年7月28日グアダラハラで
2−0というスコアのニュージーランドとの対戦で代表デビューしました。
2002年のワールドカップでその力を世界に示した彼のベストゲームは
そのW杯の決勝、対ブラジル戦(0−2で敗戦、クラブ同様準優勝となりました。)でした。
そして2008年2月6日のオーストリアとのアウェーでの対戦が代表でのラストゲームとなりました。」

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「彼にとってのクライマックスはもちろん2006年のドイツW杯でした。
 「それはサッカー選手が経験できる全ての事の中で最大の事だった。」
 「ドイツのファンがその時、僕たちを支えて祝福してくれた。
 それは僕たちの誰にとっても忘れることはできないだろうね。」
チームメイトや仲間達から高貴なテクニシャンと呼ばれたシュニックスだけが
ドイツでの”Sommermärchen(夏のおとぎ話)”を覚えています。」

以下、質問と答をちょっと引用します。

.
質問:別れの痛みはどれぐらい大きいですか?

シュナイダー:
既に大きなものだよ。
サッカーは僕にとって情熱だったという事は、僕を知っている人なら誰もが知っている。
こんな形でキャリアを終えねばならないなら、とても残念だ。
今はまだ新しいシーズンへの準備期間でボールはまだ転がっていないから問題ない。
だけどブンデスリーガが再び始まったら、僕が参加しないならばより感情的になるよ。
しかし、いつか僕の為の終わりが来ただろう。
そして今、たただ僕が怪我の為にキャリアを停止する。
(どうも変な文章で申し訳ありませんが、あまり曲げたくないので)

.
質問:昨シーズン第33節のレバークーゼン対メンヘングラッドバッハ戦での
13分間のカムバックの後、代表でもまだできる事を密かに望んでいましたか。

シュナイダー:
まず最初に言わなければならないな。
ブンデスリーガでの短時間の起用は僕にとってセンセーショナルな体験だった。
僕が再び参加できるのが嬉しかった。それがただただ美しくて印象的であるとわかったんだ。
もちろんその後も僕は来シーズンも攻撃できる事を願っていたよ。
2010年W杯をいつも意識していたし、それが僕のキャリアの最後になって欲しかった。
必要なフィットネスの為に一生懸命励んだんだ。
しかしそれは全く別なことになってしまった。
僕がプロとして続けるにはリスクが大き過ぎると、一週間前にドクターは最終的に知らせて来た。
医学的なフォローアップによって決定されたんだ。
ユーロ2008の二ヶ月前の事故での脊椎負傷は僕のキャリアの継続を不可能にした。

.
質問:東ドイツでのキャリアの始まりから一番記憶に残っているのは?

シュナイダー:
僕がカール-ツァイス・イエナのユースから来た時、ちょうど政治的な変化が起きたんだ。
そしてそれはもちろん西側にへのスポーツの展望が開けたんだ。
僕は子供の時、既にブンデスリーガを夢見ていた。
僕はそのチャンスをフランクフルトに得て、そこで素晴らしい年を過ごしたんだ。
そして最終日、カイザースラウテルンに対する劇的な5−1の勝利を経験した。

質問:それからレバークーゼンへ移籍しましたね。
バイヤー04で最も素晴らしい、そして嫌な瞬間は何でしたか?

シュナイダー:
答は明白だよ。
僕たちがウンターハッヒングで2000年のシーズン最後のゲームを落とし、
ドイツ・マイスターの座をバイエルンに渡し、
2位となってしまって、リーダーとして本当に重苦しい失望があったよ。

2001/2002シーズンも明確に、非常に残念ながら我々がグラスゴーで
レアル・マドリーに対してチャンピオンズリーグのファイナルで負けた時と同じだ。
誰もが僕たちがここまで来るとは予想していなかった。
そしてその時、僕達が全国的に、そして世界的にとても魅力的なサッカーをしたこと、これがすばらしかった。


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